『人間失格』古屋兎丸、太宰治

人間失格

太宰治の「人間失格」を現代にアレンジしたマンガです。古屋兎丸の作品をいくつか読んでみたところ、人間の闇だとか狂気だとかを描くのが得意なのでしょうか、「人間失格」もうまくハマっています。あの作品を、どう現代化するのか、どうビジュアル化するのかというのが見所です。

太宰治の希代の問題作「人間失格」を、現代社会を舞台に変え、完全コミック化! 「恥の多い生涯を送ってきました」−−ネット上に見つけた大庭葉蔵の独白が赤裸々に綴られたページ。掲示されていた3枚の写真は、葉蔵の転落の人生の軌跡を描いていた。読み進めるほどに堕ち、崩壊していく葉蔵の人生。彼は何を恐れ、逃げていたのか。鬼才×鬼才、100年に一度の出会いが生み出した究極にして最強のコラボレート作! ここに登場!!

悲しいときに、無理やり元気を出すのではなく、もっと気分を落としたい。そんな時におすすめされた本作。原作も読んでみたいと思っていたので、先に太宰治の原作を読みました。劇薬でした。

原作を読まなくても、マンガ版だけで楽しむことができます。しかし、ここでは、原作との違いに注意しながら見ていこうと思います。

古屋兎丸自身が登場し、ウェブ上で大庭葉蔵の日記を発見して、それをマンガにするという構成になっています。これは原作と同じ構成で、それによって、葉蔵が実在の人物であるかのように演出されています。その葉蔵なのですが、原作と本作では若干、キャラクターが違うように感じました。エヴァンゲリオンのアニメ版とコミック版でシンジのキャラクターが違うのを思い出します。

大きなキャラクターの違いとして、流されて破滅の道をたどる原作に対して、本作の葉蔵は、悪の要素が若干強い点が挙げられます。「罪と罰」がより強調された感じでしょうか。これは、著者による解釈だと思いますし、マンガらしさを追うとこうなる気がします。葉蔵のキャラクターに影響を与える要素として、「父親」と「お金」の存在の大きさを強調しているのも特徴だと言えそうです。

さて、一人称の日記ですから、マンガにするのは難しいような気がします。そこは、モノローグを多めに使うことで解決していました。モノローグが多すぎると残念な作品になっていたかもしれませんが、本作ではちょど良いバランスになっていると思います。時折、原作のフレーズが混ぜられています。それもちょうど良い加減で、原作を読んでいないと、どれが原作のフレーズなのか判断がつかないくらいマッチしています。

ビジュアル化した時の特徴として、葉蔵から世界(特に人間)がこう見えていたというのを表現しやすいという点が挙げられます。幻覚が見えている場合に、それをそのまま表現できるわけです。また、マンガの場合は、三人称視点で描かれますから、葉蔵以外の人物の心理も表情などから読み取れます。そこは、原作にはない楽しみ方ができるポイントだと思います。

最後の破滅は凄まじい。淡々とした文体の原作に対して、ビジュアルの強みを前面に押し出してきます。そこまでに至るまでのストーリーがシンプルに再構成されているので、より強烈なインパクトがあるのではないでしょうか。

そもそも原作が70年経っても色あせない本質的な物語ですから、現代化しても違和感がありません。もちろん、著者のバランス感覚の良さもありますが。著者の解釈により、話を許容できる範囲内でシンプルに分かりやすくしていることで、マンガらしい作品になっています。原作とは違った楽しみ方ができると思います。

コメント

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