川上未映子は日本語が上手い。あらためてそう感じました。タイトルになっている「あこがれ」の感情を、上手いこと表現していて、あたかも主人公たちの「あこがれ」の感情が自分にインストールされてゆくかのようです。ストーリーも良いですね。
人って、いつぽっかりいなくなっちゃうか、わからないんだからね
元気娘のヘガティーとやせっぽちの麦くん。寂しさを笑顔で支えあう小学生コンビが、大人の入口で奇跡をよぶ! 渡辺淳一文学賞受賞作。
おかっぱ頭のやんちゃ娘ヘガティ ーと、絵が得意でやせっぽちの麦くん。クラスの人気者ではないけれど、悩みも寂しさもふたりで分けあうとなぜか笑顔に変わる、彼らは最強の友だちコンビだ。麦くんをくぎ付けにした、大きな目に水色まぶたのサンドイッチ売り場の女の人や、ヘガティーが偶然知ったもうひとりのきょうだい……。互いのあこがれを支えあい、大人への扉をさがす物語の幕が開く。
小学生の少年と少女が主人公で、彼らの視点で書かれています。その、子どもたちの頭の中の表現がリアルで、著者はどうやって小学生の頭の中をのぞき見ているのだろうと不思議に思ってしまいます。そして、文章にするときのバランス感覚がすばらしい。
バランス感覚。子どもの視点と口調で書かれていますから、そのままだと小説として成立しません。かと言って、妙に大人びた感じにしてしまうと、違和感が出てしまいます。その、ちょうど良いあんばいでバランスが取られているのです。漢字を使うべきところが平仮名で書かれていたりするのですが、そのバランスもちょうど良いと感じました。
川上未映子の小説はこれが2冊目ですが、エッセイは何冊も読んでいます。表現や文体に特徴がありますよね。例えば、こんな具合に。
ママの面倒くさそうなときの顔はちょっとすごくて 、たとえば面倒くさいっていう感情をまだ知らない動物がみてもその感情を一発でわからせるみたいな 、みただけで面倒くささそのものをごくごく飲まされるような 、それはもうほんとうに 、完璧に 、面倒くさい顔をするのだ 。
こういう表現は、いかにも川上未映子という感じがします。そして、もうひとつ。
ぼくはヘガティ ーと歩きながら 、なぜかそのことについて話したいような気持ちになったのだけれど 、でも話すことなんてとくに何もないような気もしたし 、でもやっぱり何か話したいような気持ちがあって 、でもそれについて話すっていったっていったいどういうことなんだろうとか 、そもそも何をきけばいいんだろうとか 、話したとしても 、ただ 、いないよね 、っていうひとことで終わってしまうんじゃないかとか 、だったら話しても話さなくてもおんなじなんじゃないだろうかというような考えになってしまって 、けっきょく何も言いだせないまま 、気がつけば自動販売機のまえにやってきてしまっていた 。
必殺技「1文がやたら長い」が本書でも頻繁に登場します。これが、すごく効果的で、特に上の文章などは、主人公の頭の中がぐるぐるしている様子をよく表していますね。
この物語では、主人公の少年少女が自分の感情をうまく言い表すことができません。それを、身体の感覚として表現しています。例えば、こう。
それから 、あごのすぐ下と鎖骨のあいだのくぼんだあたりがぎゅっとしめつけられたような感じになる 。
これだけだと、どういう感情だかわからないと思いますが、この前後の文を合わせて読むと、主人公の感情を汲み取ることができます。しかし、読者も、その感情を言語化することはできなくて、それでも、なんだか理解できる。そんな体験をすることになります。
最後に、視覚表現。これも要所要所で登場します。
ス ーパ ーのわきにきちきちにならべられた自転車 。クリ ーニング屋さんの看板の蛍光の色をしたまるっこい文字 。政治家の顔がいっぱいに写ってる四角いポスタ ー 。ペンキがはげて途切れ途切れになった白線 。もう誰も住んでいる気配がなくて古くなった家の紙とかちらしが飛びだしている郵便受け 。名前を知らない緑の草たち 。たくさんのダンボ ールに野菜を入れてトラックに積んで売りに来ているいつものおじさん 。このあいだヨ ークシャテリアをみかけた茶色のベンチ 。何に使うのかはわからないけれど 、誰かの庭の 、水をいっぱいにためた大きなたる 。掲示板にはられた何枚かのお知らせの紙 。マンションの三階のはしっこのベランダから飛びだしてる色あせたサ ーフボ ードのゆるいさきっちょ 。鉢植え 。ドアの前の三輪車 。表札 。マンホ ール 。門とかゴミ箱 。ぼくはそんなものを眺めながら 、ぼろぼろにはがれた白い線のうえを歩いていった 。
少年が目にしたものを並べているだけとも言えるのですが、それによって少年の心情が伝わって来ます。
これらの表現手法を使って、少年と少女の心理描写というか、頭の中を表現しています。まるで、子どもたちが見たこと感じたことを、著者が代筆しているかのようです。特に第2章は、主人公の思考がこちらの脳に流れ込んできて、相手が小学生であるにも関わらず、感情移入してしまいました。
さて、僕が小説を紹介する時には、ストーリーに関して、できるだけ些細なネタバレも避けるように注意しています。今回も、ストーリーに一切触れず、表現手法にだけ注目した紹介文にしてみました。この表現に触れるためだけに読んでもいいのではないかと思う一冊でした。川上未映子は日本語が上手い。
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